大椿さん:「私としごと」

■私としごと
 大椿 裕子(関西学院大学障がい学生支援コーディネーター)


◆いまの仕事と向き合うことで、次につなげる社会をつくりたい ~ 一人で始めた継続雇用を求めるたたかい ~

 現在私は、大学で障がい学生支援コーディネーターとして勤務している。障害のある学生が、障がいのない学生と出来る限り同等の授業を受けられるよう、学ぶ環境を整えるのが私の仕事である。
 例えば、聴覚障がい学生は授業の内容を文字化して通訳する要約筆記やパソコンテイク等の情報保障がなければ、聴き取ることが出来ない授業を前にただ座っているだけだ。身体介助が必要な肢体不自由の学生は、学内での支援以前に通学の介助がなければ大学にたどりつくことも出来ない。発達障がいのある学生には、個別の障害特性に合わせた対応が求められる。入学を許可されても、彼らが学ぶ環境にたどりつくまでにはいくつもの壁がある。
 2008年度、日本学生支援機構(旧育英会等・以下JASSO)が行った『大学、短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の修学支援に関する実態調査』によると、回答校数1218校のうち、全学生数に対する障がい学生の在籍率は0.20%という結果が出ている。その圧倒的な少なさに障がい者が抱える現実を見る。
 しかし昨今、障がいのある学生の受け入れに対する大学側の姿勢は大きく変化してきた。かつて障害のある学生が受験拒否に合うことや、合格はしたものの「自助努力」で大学生活を送ることを大学側と約束させられることはよくあった。しかし現在、「入学を許可した以上、すべての学生に教育上の情報を同等に保障するのが大学の義務である。」という考えが主流となり、障害のある学生への支援の充実度が大学評価のひとつとして認識されるようになってきた。
 それにともない徐々にではあるが、各地の大学で障がいのある学生への支援を行う専門部署が設置され、コーディネーターが配置されるようになった。社会福祉分野の学位や社会福祉士資格、手話通訳等の専門技能を応募資格にあげる大学が多く、障がい者支援に関するある種の専門性が求められ職種であると思われる。
 その一方で、全国にいる障がい学生支援コーディネーターの多くが、最長3年~5年の有期雇用で働いている。また、コーディネーターの多くが女性であることも特徴的だ。非正規と言えど、実質的な現場の運営はコーディネーターに任されていることが多く、現場のことを考えると安心して妊娠することも出来ない。非正規の女性が妊娠するということは、職を失うことに限りなく等しい。
 このように大学現場もまた非正規職員に依存し、雇い止めが横行している現実はあまり知られていない。私自身も2010年3月末をもって雇い止めとなる「期限付契約職員」という立場である。給与は正職員に準じた額が支給されるものの、1年ごとの更新で最長4年まで、退職金なしという契約で働き始めた。契約終了まで残り数か月、失業という現実は私の目前にある。
 障がい学生支援コーディネーターという職種をあらかじめ有期雇用とすることにかねてより疑問を抱いていた私は、個人で加入できる大阪教育合同労働組合(以下教育合同)に入り(勤務先の大学には非正規職員が加入できる職組はない)、継続雇用を求め今年3月より大学側と団体交渉を行っている。しかし大学側には継続雇用の意思は全くない。期限付契約職員の規定が労基署に未届けであった違法性を指摘しても「有効である。」の一点張りで、その根拠を論じる誠実さもない。一方的に団交打ち切りを言い渡された今、不当労働行為救済申立を行い、引き続き継続雇用を求めた運動を続けているが、大学側の姿勢は頑なだ。
 大学側は「有期雇用であることに納得して契約したのだから、あなたの自己責任だ。」と言う。しかし今この国で、障がい学生支援コーディネーターとして働きたいと思い続けることは、「自己責任だ。」と言われながら非正規で働き続けるという現実を受け入れることを意味している。
 人をケアする仕事、とりわけ福祉従事者の待遇が冷遇されるのはなぜか。私達の仕事は、誰でも出来る取替え可能な仕事なのだろうか。支援に携わる者達の生活が不安定であれば、それは必ず障がい者をはじめとする様々な社会的弱者とその家族の生活を圧迫していく。自らの不安定な状況を「仕方ない」と諦めることは、支援を必要とする人々の生活が不安に曝される状況を前に無力になることだ。それって本当にワーカーとしての仕事を全うしたと言えるのか?この自分自身への問いが、継続雇用を求める運動の根幹にある。
 団交を考えた時、数人の信頼出来る教職員に相談したが、彼らの答えは一様に「止めた方がいい。大学の決断は変わらない。」というものだった。労働組合、労働運動に対し敬遠する姿勢も垣間見られた。経験を重ねた人材を継続雇用する方がメリットがあると内心思っていても、その矛盾した状況を変えることは最初から諦めている。その無力感に自分が巻き込まれてしまうのだけは嫌だった。
 その思いから教育合同の扉を叩いたのが今年の2月。たっぷり3時間話を聞いてもらった後、帰り際、専従スタッフの男性にこう言われた。「あなたの時には変わらないかもしれない。でも次の人の時には変わるかもれしない。それが労働運動だよ。」この時、私の問題は私個人の問題に留まらないことを知り、私の決断と行動が未来へとつながる変革を生む可能性を感じた。その瞬間、私の中で団交への意思は固まった。大げさかもしれないが私の中にひっそりとあった、「社会を変えたい」という欲求が、彼の言葉に見事に反応したのだ。
 現在職場には、私の運動を表だって応援してくれる教職員はいない。けれども障害のある学生や、彼らの支援に携わる学生スタッフ、そして保護者からの、私の身を案じ継続雇用を求める声が支えとなっている。
 運動を通して、私にとってソーシャルワーカーとして働くとはどういうことか、そのことを問い直す機会を得た。それと同時に、ロストジェネレーションと名づけられた世代の私達だからこそ、次に続く若い世代にどんな社会をつなげていくのか、本気で向き合える力があると思っている。

『女性としごと』No.50(労働大学出版センター,2010)掲載]

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